徳島市立高校第一回定期演奏会の思い出

 はるか遠い昔の何十年も前、われわれがまだ高校生だったころ、まだ生まれていなかった人もいたであろう時代のことを思い出してほしいとの依頼が来てびっくり、もう子供が大学生、あるいは就職している親になっているような年頃の私には、まさに晴天の霹靂の出来事であります。そんなわけで必死で当時を思い出してみましたが、随所に間違いがたくさんあると思いますので、その場合はお許し下さい。

 昭和42年の夏、今は亡き我らが恩師、「川人昭夫先生」の指導のもと、秋の記念すべき第一回定期演奏会に向け、夏休みも返上して、部員一同額に汗しながら、特訓を受けた思い出が蘇ってきます。思い起こせば当時は楽器も技術も十分に充実しておらず、何もかもが手さぐりの状態でありました。部員は一年生が26人くらい、われわれ2年生はなんと7人、3年生が18人くらいで女子の方が圧倒的に多かった。また、川人先生をはじめ先輩方は個性が強い人達ばかりで、今も一人ひとりの顔が当時のまま浮かんで来ます。

 第一部と第三部は川人先生の指揮で練習が進んでいたのですが、第二部の軽音楽は、われわれ生徒自らが計画して自分達の舞台を作るという設定でありましたので、まず、どんな曲を演奏するか、どんな演出をするかなど、みんなからアンケートを取り、何曲かピックアップした中から「エデンの東」に決めました。曲目は決まったのですが、曲のバンド譜というものが本屋を探してもなかったので、サントラ盤レコードを買い求めて、何度も何度も聞いて、先輩に手伝ってもらいながら、自宅のオルガンでパート譜面を起こしたことを覚えています。これに相当時間を費やしてしまって、演奏会の日が迫ってきたある日、先生に「早うせんとカットするぞ!」と言われてしまって相当あせりました。みんなに譜面を配り練習を始めましたが、素人いきの譜面のため、各パートからクレームが出て全体のバランス、雰囲気がつかめなくて一時はもうやめようと思ったときもありました。しかし、みんなの励ましと協力で何とか聞ける状態になり、カットされずに済みました。

 それから演奏会の一ヶ月前、ポスターを楽器店や書店に貼らせてもらったのですが、お金がなくて、画用紙に絵の具やマジックで手書きの物で、一人5枚を目標に作りました。また、チケットは一人10枚を売りさばくか自腹かというノルマ制で、なかなか売れなくて苦労しました。

 当日の朝、文化センターに楽器を運び込むため、トラックに打楽器などを積み込んだのですが、自分の受け持ちのコントラバス3台は乗らないので、タクシーを呼んで乗せようとしたところ、運転手の人がこれほど嫌なことはないというくらい、嫌な顔をしていたのをしっかり覚えています。

 午後からのリハーサルを終え、日も暮れてきて開場に、大勢の入場者で補助椅子を出したりして15分ほど遅れて開演に、にわかに緊張が高まり6時45分、本ベルト共に緞帳がゆっくりと上がり、いよいよ本番、緊張の一瞬です・・・・・

 幾多の世界のアーチィスト達が立った文化センターの晴れの大舞台で、いささか緊張しましたが、この日だけは自分達が主役になれました。演奏曲目で印象に残っているのは、第一部は「フィンランディア」、「白鳥の湖」など、第二部では「エデンの東」などの軽音楽、合唱部によるオペラ「鶴の恩返し」を熱演、盛大な拍手を受けました。第三部は「エグモント序曲」、これはコンクールの演奏曲でありました。会場からいっぱいの拍手をいただき、まずは第一回の演奏会、何とか成功に終わりましたが、翌年もずっと続くように願いながら文化センターをあとにした次第であります。

01'03'21 デカ長(5,Cb)